友人達との両国探訪の続き。
一之橋を渡って向かった先は、江島杉山神社。
ここにも墨田区の説明書きがある。
細い管を使って鍼を打つ、管鍼術を生み出した杉山和一が五代将軍綱吉からこの地を賜り、住居と共に弁財天を建立したのがこの神社の始まりとのこと。
こちらは、神社の由緒書。
江ノ島弁天の岩屋にこもって管鍼術を生み出したことから、江島の名前が付けられ、江ノ島弁財天と杉山和一総検校が祀られている。
杉山和一がこもった江ノ島の洞窟を模した岩屋も建設されている。
ここが岩屋の入り口。
奥に突き当たると、更に左に数メートル延びている。
吉良邸跡。
赤穂浪士の討ち入りで有名な場所で、元々は2,550坪の広大な屋敷だったそうだ。
屋敷跡が次々と民家になっていったことから、町の有志がその一角を買い取り、本所松坂町公園として整備した。
公園内には、吉良上野介座像、首洗いの井戸、吉良上野介を祀った稲荷神社が残されている。
吉良上野介は鍛治橋の屋敷に住んでいたが、松の廊下の事件のあと江戸城から離れたこの場所へ移動を命じられ、ここを拝領したのが1701年9月3日、討ち入りが1702年12月14日なので、わずか1年3か月余りしか住んでいなかったことになる。
続いては、勝海舟生誕地。
勝海舟の生涯や、ゆかりのある人々の説明が書かれた大きな壁も造られている。
私の先祖は旗本だったので、勝海舟や山岡鉄舟、高橋泥舟とも交流があり、三人の直筆の手紙が残っている。
ここは、時津風部屋。
子供の頃、初代豊山のファンだったので、時津風部屋は私にとって特別な部屋である
他にも何ヶ所か回りながら、両国駅に戻る。
1時間40分ほどの街歩き、ガイドさんにお礼を述べて次の目的地へ。
向かった先は、江戸東京博物館。
6階のエントランスを入ると、目の前には日本橋。
日本橋北詰側の半分が再現されている。
橋を渡ると、その先には日本橋のミニチュア再現セット。
真ん中の青い瓦屋根の建物辺りが、今の日本橋三越新館。
他に江戸城のミニチュアもあり、松の廊下の場所も確認することができる。
これは両国の再現ミニチュア。
両国橋を渡った先、東側には芝居小屋や見世物小屋が立ち並ぶ。
助六由縁江戸櫻(すけろくゆかりのえどざくら)の舞台の再現。
花川戸助六が見栄を切る姿は美しい。
花川戸の近くに馴染みの鮨屋があるので、花川戸近辺は良く歩いている。
こちらは芝居小屋。
それにしても、この博物館、大掛かりでお金を掛けている。
この鉾は、神田須田町のもの。
街歩きを始めて既に三時間半。
足も疲れたし、喉も乾いた。
そろそろ飲み始めても良い頃だ。
この続きの飲み会は、また明日。