絵画鑑賞後のディナーと順番が逆転したが、京橋の「アーティゾン美術館」でちぃさんと過ごす楽しい午後の続き。
6階の企画展、”写真と絵画-セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策”を鑑賞した後は、5階で開催されている企画展、”Transformation 越境から生まれるアート”を鑑賞。
19世紀半ば以降に加速する美術を取り巻く世界の国際化と、それが芸術家たちの創作に及ぼした影響をテーマとした企画展。
この企画展は四つの章で構成されている。
第1章は、”歴史に学ぶ-ピエール=オーギュスト・ルノワール”。
ヨーロッパ諸国の過去の美術についての研究が発展する19世紀のフランス。
「画家は美術館で学ばねばならない」として、ルーブル美術館のみならず諸国の美術館を訪問し、先人の残した芸術との対話を重ね、自らの理想とする絵画の追及に晩年まで取り組んだルノワールの創作が取り上げられている。
ピエール=オーギュスト・ルノワール:1841-1919
エドゥアール・マネ、「メリー・ローラン」(1882年)。
ルノワールと同時代の画家の作品も何点か展示されている。
マネは最晩年になると病気のため大作を描くことができなくなり、親しい女性たちの肖像画を描くようになった。
その中でもお気に入りはメリー・ローランで、彼女の絵を何枚も描いている。
アンリ・ファンタン=ラトゥール、「静物(花、果実、ワイングラスとティーカップ)」(1865年)。
果物はレモンとザクロ。
ザクロのルビー色の実が活き活きと描かれている。
エドガー・ドガ、「レオポール・ルヴェールの肖像」(1874年頃)。
ルヴェールは、ドガの友人の印象派の画家。
頭部は極めて精緻に描かれ、一方で洋服や背景は素早く大胆な筆遣いで描かれ、印象派の特徴が出ている。
ベルト・モリゾ、「バルコニーの女と子ども」(1872年)。
柔らかな印象がとても心地よい。
モリゾは印象派の数少ない女性画家の一人。
メアリー・カサット、「日光浴(浴後)」(1901年)。
この絵も好きだ。
カサットはアメリカ出身の印象派の女性画家。
この絵を見ると、日本の浮世絵の影響が感じられる。
クロード・モネ、「アルジャントゥイユ」(1874年)。
アルジャントゥイユは、モネが住んでいたパリの北西の街。
印象派の風景画家のモネはアルジャントゥイユを流れるセーヌ川の景色を繰り返し描いている。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「ルーベンス昨”神々の会議”の模写」(1861年)。
ここからはルノワール。
1861年はルノワールが本格的に絵画を学び始めた年。
国立西洋美術館所蔵。
この作品は梅原龍三郎から国立西洋美術館に寄贈されたもの。
ルノワールが尊敬の念を抱いて読んでいた、チェンニーノ・チェンニーニ(1360年頃-1440年頃)の絵画技法書、「芸術の書 絵画技法論」が展示されている。
チェンニーノ・チェンニーニ、「芸術の書 絵画技法論」(1923年刊)。
これはルノワールが序文を寄せた再刊版の重版だと思われる。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」(1876年)。
ルノワールの少女像は本当に可愛い。
パトロンの出版業者、ジョルジュ・シャルパンティエから最初に依頼された家族の肖像画で、モデルは長女のジョルジョット(当時4歳)。
ピエール=オーギュスト・ルノワール「少女」(1887年)。
ブルーの瞳と、ドレス、背景のブルーが調和して美しい。
イタリア・ルネッサンスや新古典主義の影響を受けていた”硬い時代”の作品。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「浴後の女」(1896年)。
東京富士美術館所蔵。
1890年代から盛んに描き始めた室内風俗画の代表作の一つ。
この頃は、脱がれた服、シーツ、クッションなどのファブリックの質感が丁寧に描かれている。
実に豊かな体型をしている。
19世紀末はこのような体型が一般的だったのだろうか、それともルノワールの好みだったのだろうか。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「モーリス・ドニ夫人」(1904年)。
諸橋近代美術館所蔵。
モーリス・ドニは画家兼美術評論家で、ドニの希望で妻マルトの肖像画が描かれた。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「カーニュのテラス」(1905年)。
ルノワールはリウマチを患い、温暖な南仏で過ごすようになり、ニースの西、カーニュ=シュル=メールに1903年に拠点を移している。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「葉と果実の飾りのある若い裸婦」(1905年頃)。
アサヒビール大山崎山荘美術館の所蔵で、撮影禁止。
写真はアメブロ記事からお借りしました。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「水浴の女」(1907年頃)。
先の「浴後の女」とは明らかに画風が変化している。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「裸婦」(1908年)。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「パリスの審判」(1913-14年頃)。
ひろしま美術館所蔵。
残念ながら6月中旬からの展示(私がアーティゾン美術館を訪れたのは5月の連休)。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「すわる水浴の女」(1914年)。
晩年になると、水浴する女性をテーマにした絵が数多く描かれている。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「花のついた帽子の女」(1917年)。
ルノワール最晩年の作品。
ピエール=オーギュスト・ルノワール、「闘牛士姿のアンブロワーズ・ヴォラール」(1917年)。
日本テレビの所蔵で、撮影禁止。
写真はエキサイトブログからお借りしました。
ヴォラールはパリの有名な画商で、ルノワールと24年間の長い交友を保った人物。
この作品はルノワールの最後の肖像画と言われている。
最後はソファーに腰掛け、「アーティゾン美術館」制作の”ルノワール、過去の美術への旅”を観て第一章を終了。
第一章は石橋財団以外の所蔵作品6点も加えられ、素晴らしいルノワールの展示だった。
「アーティゾン美術館」の企画展、”Transformation 越境から生まれるアート”の鑑賞記は続きます。