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Channel: ワインは素敵な恋の道しるべ
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Transformation 越境から生まれるアート、アーティゾン美術館、京橋 2

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京橋の「アーティゾン美術館」でちぃさんと過ごす楽しい午後の続き。

観ている企画展は、”Transformation 越境から生まれるアート”。

 

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第2章は、”西欧を経験する-藤島武二、藤田嗣治、小杉未醒”。

明治期以降、日本では西欧由来の油彩技法の受容が進み、彼の地を自ら踏み、息づく伝統に直に触れる経験は、画家たちの創作をめぐる意識に様々な方向性をもたらすこととなった。

洋画家の「西洋経験とその後」を、藤島武二を中心に三人の画家の絵画創作で追う企画。

藤島武二:1867-1943

藤田嗣治:1886-1968

小杉未醒:1881-1964

 

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藤島武二、「ヴェルサイユ風景」(1906-07年)。

1905年12月から1907年12月までパリの国立美術学校で学んでいる。

その後ローマに移るが、盗難に遭い多くの絵を失っているため、パリ時代の絵で現在に伝わるものは数少ない。

 

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藤島武二、「ネミ湖」(1908年)。

近くで見ると大胆で粗い筆遣いなのだが、一歩離れると、水面に映る夕陽が美しい繊細な景色が現れる。

これも藤島が追及したサンブリシテ、単純化の作品。

 

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藤島武二、「糸杉(ヴィラ・ファルコニエリ)」(1908-09年)。

画面を二分する大きな糸杉と、水面に映る糸杉。

不思議な画面構成だ。

 

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藤島武二、「黒扇」(1908-09年)。

代表先のひとつ。

ローマ滞在時代に描かれた作品で、白いベールの質感に技量の高さを感じさせる。

 

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藤島武二、「縮図帖(Study Notes)」(制作年不詳)。

藤島がヨーロッパの絵画、壁画、彫刻をスケッチし、熱心に学んでいたことがよくわかる。

1冊はルネッサンス期イタリアの美術が中心で、ミケランジェロ、ラファエロ、ヴェロネーゼ、そしてレンブラントの作品の模写もある。

もう1冊はピュヴィス・ド・シャヴァンヌの作品の模写。

ヨーロッパで実物を観て模写したのかと思ったが、どうやら渡航前に画集等から模写したものが中心とのこと。

 

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藤田嗣治、「巴里風景」(1918年)。

第一次世界大戦開戦の約一年前、1913年8月にパリに渡っている。

大戦中に約一年間ロンドンに避難したことを除けばパリで創作活動を続け、この絵はモンパルナス駅から東にほど近いエドガー・キネ広場を描いたもの。

 

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藤田嗣治、「自画像」(1927年) エッチング。

おかっぱ頭、黒い丸ぶち眼鏡、両耳の金のピアスは藤田のトレードマーク。

 

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藤田嗣治と言えば、猫。

この自画像にもちゃんと猫が描かれている。

 

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藤田嗣治、「横たわる女と猫」(1932年)。

ここにも猫が。

 

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1920年頃、日本画の肌の表現に着想を得て、油彩での独自の乳白色の肌の表現を生み出した。

これが藤田の名を世に知らしめた、”乳白色の画肌”の代表作の一つ。

 

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藤田嗣治、「猫のいる静物」(1939-40年)。

1939年の再渡仏のあと、第二次世界大戦開戦により1940年に帰国するまでの短い間に描かれた作品。

ここにも猫。

 

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小林未醒、「山幸彦」(1917年)。

1913年2月にパリに渡ったが、同年11月には帰国している。

西洋の文化に根付いた油彩画に違和感を覚えたのが理由で、帰国後は油彩画でありながら日本や中国的な主題の絵を描いている。

 

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藤島武二、「東洋振り」(1924年)。

西洋の油彩画の技法を用いながら、題材は中国服を着た東洋の女性。

 

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この試みは藤島のこの言葉に要約されている。

 

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藤島武二、「淡路島遠望」(1929年)。

主に人物画を描いていた藤島武二が風景画を描くようになったのは1928年から。

この絵は画面構成上、敢えて実景を変えているそうで、本人はこう語っている。

「舞子あたりの風景で、遠景に淡路島が見えて、帆船を配しておいた。近景に赤い屋根の家など三軒を書いた。事実あんな別荘風の建築があったが、実際はよほど旧式な西洋館である。画面構成にいけないと思へば勝手に実景を冒涜してゐる。画因は、からっと晴れた瀬戸内海の風光明媚な処を書いて見たかった」。

 

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藤島武二、「屋島よりの遠望」(1932年)。

この絵においても中心をなす海面に意識を集中させるため、周辺の景色をぼかして描かれている。

 

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藤島武二、「東海旭光」(1932年)。

藤島は1928年に昭和天皇の即位を祝って絵画制作を依頼され、題材を”日の出”と定め、1937年に「旭日照六合」(三の丸尚蔵館)の絵を完成させた。

完成までの約10年間、藤島は世界各地を回り、”日の出”の絵を多数描いている。

「東海旭光」はそんな”日の出”の中の代表作の一枚。

 

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藤島武二、「蒙古の日の出」(1937年)。

この作品も”日の出”の一枚。

「アーティゾン美術館」には藤島の作品が64点収蔵されている。

 

第二章も素晴らしかった。

ちぃさんと過ごす「アーティゾン美術館」での午後は続きます。

 

 

 

 

 


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