4月のこと、友人達と京橋の「アーティゾン美術館」で過ごす楽しい美術鑑賞の続き。
今日のメンバーは、かずみさんご夫妻、しづちゃん、そして私。
鑑賞している企画展は、”見る、感じる、学ぶ アートを楽しむ”。
セクション1は、”肖像画のひとコマ-絵や彫刻の人になってみよう”。
最初のテーマは昨日ご紹介した、”自画像”。
そして次のテーマは、”画家とモデル”。
アンリ・マティス「画室の裸婦」(1899年) 油彩・紙
画家にとってモデルの存在はとても重要。
マティスが学んだエコール・デ・ボザール(フランス国立美術学校)では19世紀後半から裸体の女性モデルが導入されている。
30歳の時のこの絵は、既にマティスらしい大胆な表現で描かれている。
アルベール・マルケ「フォーヴの裸婦」(1898年?)ボルドー美術館所蔵
マティスと共に学んだマルケの絵は、同じモデルを少し違う角度から描いている。
おそらく二人は並んでこの裸婦を描いていたのだろう。
マルクの絵に記入されている1898年の年号は、1899年の間違いだと考えられている。
アンリ・マティス「縞ジャケット」(1914年) 油彩・カンヴァス
モデルは娘のマルグリット。
軽快なタッチで描かれ、これだけ抽象化しながら人物の個性をしっかりと表現していることは驚き。
顔の表現を見ていると、後年没頭した切り絵の要素を感じることができる。
アンリ・マティス「青い胴着の女」(1935年)
モデルは、マティスの秘書も兼ねていたリディア・デレクトルスカヤ。
1934年頃からマティスが他界する1954年までマティスのモデル兼秘書を務めている。
マティスは絵の制作途上を撮影していて、この絵にも三枚の写真が残されている。
左上から1935年6月4日、6日、22日の日付で、完成作品は下書きから随分変化している。
アンリ・マティス、「ジャッキー」(1947年) インク・紙
1954年に84歳で他界したマティスの晩年の作品。
モデルは孫娘のジャクリーン・マティス・モニエで、16歳の時のもの。
マティスのデッサンは心に浮かんだものを力強い線で一気に描いている。
パブロ・ピカソ、「画家とモデル」(1963年) 油彩・カンヴァス
単純化、抽象化された絵の中には、居心地の良さ、温かさを感じることができる。
次のテーマは、”道化師の肖像”。
パブロ・ピカソ、「道化師」(1905年) ブロンズ
道化師、ピエロは、多くの芸術家に題材として取り上げられている。
パリに来て一年目の若きピカソ(24歳)は、メドラノ・サーカスを観て帰宅後にこの像の制作に取り掛かったとのこと。
アンリ・トゥールーズ=ロートレック、「サーカスの舞台裏」(1887年頃) 油彩・カンヴァス
18歳で画家を志しパリに出てきたロートレックは、モンマルトルで劇場やダンスホールやサーカスに通い、そこで働く人々を描き始める。
この絵はフェルナンド・サーカス(後のメドラノ・サーカス)の舞台裏を描いたもの。
アンリ=ガブリエル・イベルス、「サーカスにて」(1893年) 4色刷りリトグラフ
線や色を重視した抽象的な表現で、サーカスや前衛的な演劇を題材として描いた版画家・イラストレーター。
この絵にはその特徴が良く表されている。
ジョルジュ・ルオー、「芝居の呼び込み」(1906年) 油彩・カンヴァスで裏打ちされた紙
家具職人の家に生まれ、ステンドグラス職人のもとで修業をした労働者階級出身のフォーヴィスムの画家。
場末の市にかかるサーカスや旅回りのサーカスに親しみ、サーカスを題材とした多くの絵を描いている。
ジョルジュ・ルオー、「ピエロ」(1925年) 油彩・紙
自分を含む人間すべてを道化師とみなしていたルオーが描くピエロは、静かに目を閉じ人生の重みを噛みしめているかのようだ。
ルオーが描くキリストの絵にも相通じ、宗教画のようにさえ見える。
ルオーの絵を観ると、本郷の赤門前にあった『喫茶ルオー』を想起する。(今は正門寄りに場所を移して再開。)
本物のルオーの絵が飾られていたこの店で、一杯のコーヒーを飲みながら何時間も難解な経済モデルの数式を解いていたことを思い出す。
パブロ・ピカソ、「腕を組んですわるサルタンバンク」(1923年) 油彩・カンヴァス
サルタンバンク=旅芸人とは思えない、重厚な存在感を持つ、端正な顔立ちの若者。
ピカソの新古典主義時代の代表作の一枚だ。
この絵はピアニストのウラディミール・ホロヴィッツが所有していたことでも有名。
この絵の不思議なところは、画面左側に鉛筆による下書きのような人物がうっすらと残っている点。
そして更に不思議なことに、近年の科学調査により、うっすらと残る人物とは別に、サルタンバンクに寄り添う女性の姿が元々は描かれていたことが判明している。
セクション2は、"風景画への旅-描かれた景色に浸ってみよう"。.
最初の旅は、銀座。
岸田劉生、「街道(銀座風景)」(1911年頃) 油彩・カンヴァス
フィンセント・ファン・ゴッホに惹かれていた時代に描かれた作品。
20歳の時に、銀座通り(中央通り)銀座二丁目にあった実家近くの銀座通りの景色を描いたもの。
画面の半分以上を明るい路面が占めるという面白い構図。
右端に路面電車が描かれているが、軌道や架線は省略されている。
次の旅は、パリ。
パリには多くの芸術家が集まり、モンマルトルやセーヌ川は彼らの良い画題となっていた。
ケース・ヴァン・ドンゲン、「シャンゼリゼ大通り」(1924-25年) 油彩・カンヴァス
パリで活躍したオランダ出身のフォーヴィスムの画家。
第一次世界大戦後の、開放的な雰囲気、軽やかなファッションが活き活きと描かれている。
アーティゾン美術館の中で、私のお気に入りの絵のひとつだ。
フィンセント・ファン・ゴッホ、「モンマルトルの風車」(1886年) 油彩・カンヴァス
ゴッホのパリ時代の絵。
オランダ出身のゴッホにとって、モンマルトルの丘にある風車は懐かしい景色だったのだろう。
でもこの風車はオランダのそれとは違い、ダンスホールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」。
モーリス・ユトリロ、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1933年) 鉛筆、パステル、紙
モンマルトルの丘の麓に生まれたユトリロにとっては、この風車は馴染みのある画題で数多くの絵を描いている。
アンリ・ルソー、「イヴリー河岸」(1907年頃) 油彩・カンヴァス
イヴリーはパリ南東部のセーヌ川沿いの工業地帯。
長閑な景色に見えるが、工業化を示す工場の煙突や飛行船が描かれている。
岡鹿之助、「セーヌ河畔」(1927年) 油彩・カンヴァス
童話の挿絵になるような可愛い絵だ。
岡は1925年(大正14年)にパリに渡り、第二次世界大戦勃発までの14年間を過ごした。
この絵を観ると、ルソーの影響が感じられる。
梅原龍三郎、「ノートルダム」(1965年) 油彩・金箔押しした羊皮紙
1908年(明治41年)にパリに渡り、戦後は1956年(昭和31年)から頻繁に渡欧している。
若いころから慣れ親しんだノートルダム寺院を題材に描いた作品。
モーリス・ユトリロ、「パリのアンジュー河岸」(1929年) 油彩・カンヴァス
アンジュー河岸は、パリ中心部、4区のセーヌ川沿いにある。
左手に描かれた立派な建物は、建築家ルイ・ル・ヴォーによって建てられたランベール館。
更に続く旅は、ニューヨーク。
猪熊弦一郎、「都市計画(黄色 No.1)」(1968年) 油彩・カンヴァス
ニューヨークで活躍した猪熊がニューヨークの街を俯瞰的に表現した作品。
表現様式は日本の畳や絣の文様を想起させ、日本的な美的感覚が斬新であると評価された。
友人たちと楽しむ美術鑑賞は続きます。